読解教材(全編)

 いまから100ねん以上いじょうまえ、まだ日本にほん明治めいじ時代じだいだったころ、一人ひとり外国人がいこくじんがやってた。かれはラフカディオ・ハーン。日本にほんあいし、たくさんの著作ちょさくとおして、日本人にほんじんこころ外国がいこく紹介しょうかいした、日本にほん外国がいこくのかけはしのようなひとである。
 ハーンは1850ねん、アイルランドじんちちとギリシアじんははとのあいだまれた。両親りょうしんとはまだちいさいどものころにわかれ、資産しさんおお叔母おば世話せわになったが、そのおお叔母おばいえ破産はさん学校がっこう中退ちゅうたいした。また、在学中ざいがくちゅう友人ゆうじんあそんでいたさい左目ひだりめ事故じこ失明しつめいするという不幸ふこうにも見舞みまわれた。
 青年せいねん時代じだいはアメリカにわたり、しょく転々てんてんとしながらくるしい生活せいかつをしていたが、きな著述ちょじゅつ仕事しごとでだんだんとてることができるようになった。そして1890ねん、ある雑誌ざっし特派員とくはいんとして、日本にほんおとずれることになったのである。
 日本にほんやく220年間ねんかんつづいた鎖国さこく時代じだいわると同時どうじに、諸外国しょがいこくとの交流こうりゅうはじめたばかりのころであった。西洋せいように100ねんおくれていたとわれる当時とうじ日本にほん近代きんだいするためには、西洋文明せいようぶんめい急速きゅうそくれていかなければならなかった。そのため、人々ひとびと関心かんしん日本にほん西洋せいようにあり、伝統的でんとうてき日本文化にほんぶんか価値かちかえりみられることはすくなかった。しかしハーンのこころをとらえたのは、あたらしくまれわろうとしている日本にほんではなくて、「ふる日本にほん」であった。特派員とくはいん仕事しごとをやめて、島根県しまねけん松江まつえ英語えいご教師きょうしとしてはたらくことになったハーンは、このまちらすうちに、むかしからの日本にほん文化ぶんか伝統でんとう発見はっけんし、つよ共感きょうかんしたのである。西洋せいよういつくために、いくら近代きんだいすすめる必要ひつようがあっても、日本にほん本来ほんらいけっしてうしなってはいけない、ふる日本にほんにこそ日本人にほんじん真実しんじつこころがある、とハーンはしんじた。ハーンはのちに、日本にほん観察記かんさつき日本文化批評にほんぶんかひひょうなどの日本にほん研究けんきゅうから文学作品ぶんがくさくひんまで数多かずおおくの著作ちょさくのこした。かれにとって、松江まつえでの生活せいかつは、これらを執筆しっぴつする原動力げんどうりょくとなったとえるだろう。
 さて、このように「ふる日本にほん」を賞賛しょうさんしたハーンの著作ちょさくなかで、とく有名ゆうめいなのは『怪談かいだん』である。ハーンは日本にほんまえから、幽霊ゆうれいものなどのこわはなし非常ひじょう愛好あいこうしていた。ハーン自身じしん奇妙きみょうなものや怪奇かいきなものについ夢中むちゅうになってしまう、と友人ゆうじんへの書簡しょかんなかいている。しかし、ハーンはけっして『怪談かいだん』をふくめた一連いちれん作品さくひんたんなる怪奇かいき趣味しゅみいたわけではない
 怪談かいだんといえば、一般いっぱん興味きょうみ本位ほんいにとられがちで文学的ぶんがくてき価値かちひくいものだとおもわれているかもしれない。しかし、ハーンのそれは、日本にほん民衆みんしゅうあいだかたつたえられていたはなしをもとにしながら、実際じっさいはハーンによってつくなおされたものである。ハーン自身じしん解釈かいしゃくくわえ、内容ないようくわえたりけずったりして創作そうさくした文学作品ぶんがくさくひんである。かれはそれぞれのはなし登場人物とうじょうじんぶつつうじて、日本にほん民衆みんしゅうこころなかにあるねがいやうったえをかたろうとした。『怪談かいだん』は、ハーンのあいした「ふる日本にほん」、日本人にほんじんこころ奥底おくそこながれている精神せいしん反映はんえいするものである。
 ハーンは日本人にほんじん女性じょせい結婚けっこんした。また、1895ねん、45さいときには日本にほん帰化きかして、小泉こいずみ八雲やくもという日本名にほんめいった。ハーンの著作ちょさくはもともと海外かいがい読者どくしゃ対象たいしょうにしており、すべて英文えいぶんかれたが、それが日本語にほんごにも翻訳ほんやくされ、いまおおくの日本人にほんじん愛読あいどくされている。外国がいこく日本にほんとのかけはしになっているだけではなく、現代げんだいきる日本人にほんじんにも「ふる日本にほん」をつたつづけているのである

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